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文学壮年なるかみ 椎名麟三・梅崎春生を読む

 僕は毎日お風呂の時間と寝る直前で本を読んでいます。お風呂は基本湯船につかりながら温まることを目的としているので、できればあまり小難しい内容 ではなく、すいすいと読めるものが好ましい。だからエンターティメント小説 を中心に読むわけ。そんでそれは大体ブックオフの200円くらいのハードカ バー本で賄うんだけど、めぼしい本を読み切ってしまったのですよ。


 また買いに行ってもいいんだけど、そしてその行為は楽しいのだけれど、増える一方だし節約の意味も込めてもう一度昔読んだ本を読み返そうと思ったの です。本棚にざっと目を通して留まったのはのは日本文学全集の「椎名麟三・梅崎春夫」の巻だった。

    昔住んでたアパートの大家が捨てようとしていたものをまとめて入手したうちの一冊

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 久しぶりに文学作品を読もうという気になり、椎名麟三の「 深夜の酒宴」から読み始める。昔確かに読んだはずなのだけれどほとんど覚えていなかった。次いで「自由の彼方に」「媒酌人」と読み進める。どの作品 も昭和初期の暗い雰囲気に満ちており、明るい要素ほぼなし。カタルシスなし 。あるのは生きることの厳しさと絶望。文学作品に様々な人生の断片が描かれているが、どの話も、希望らしきものが見られない。

 


「自由の~」は作者の自伝的作品だというが、とにかく救われない。コック見習いである山田清作はその劣悪な職場環境から逃げ出し、職を転々とする。しかしどこへ行っても彼が安穏と過ごせる場所はない。雇い主のチンピラのような若造に往来で殴られると、そのままふらふらと、自ら手近な店のショーウィンドウに突っ込み、ガラスを割り、血を流す。その一方で時に感情を爆発させ、レストランの女給にチキンライスをぶちまけたりもする。

 そんな彼はある日母の自殺未遂をきっかけに姫路へと戻り、そこで電鉄の車掌となるのだが徐々に彼はそこで共産党の活動に精を出してゆく。とはいえあくまで最初は自称共産党員であって、そのことに彼自身が陶酔していたのだが、やがて非合法の組合活動を通じて本物の共産党員となり、ビラを配布したり、会合を持ったりと行動を進めてゆく。

  ところがある日職場に見慣れない車が停まっているのを発見し彼は逮捕を予感し逃走する。そうして大阪や東京を転々とするのだがやがて捕まり、懲役生活へと入る。出所した後も元共産党員であるので碌な職に就くことはできず、町工場でボルトをひたすら拾うという重労働に従事する。彼はそこでおおいに健康を害し、毎日あばらやで梁にかけてある荒縄を首に巻いては死ぬ決心がつかずにただ生きるのだ。暗い。ひたすら暗い。

  

 次の「媒酌人」は作家になった彼が自分の意志とは無関係に不可避的な出来事に徐々に巻き込まれていく作品だ。私小説的な内容であるが、これがまたなんというか完全に不条理小説。ある日突然玄関先に現れたのは、叔母の娘(つまり従妹)の夫である民夫。かれは田舎で問題を起こして東京に出てきたのだという。そして頼れるのは媒酌人をしてくれた作者のみだというのだ。作者にしてみれば一度会ったきりの、しかも血のつながりにない若者が突然現れたのだからたまらない。すぐに追い返すつもりだったが、妻のとりなしでなし崩しに居候されてしまう。民夫は何をするでもなく、毎日ぶらぶらとしており、ときに作者の生活に入り込んでくる。耐えきれなくなった作者は講演のついでに田舎 の叔母の家へと向かう。

 この道中がまた不条理の連続でタクシーは部落の入り口までしか行ってくれない。叔母の家はさらにそこから数キロ離れたところなのだ。仕方なくそこから歩き出すのだが早くも夕闇迫り、果ては途中で持病の心臓発作を起こし、谷川の水で薬を飲みなんとかしのぐ。次から次へと作者に不幸が降りかかるので、読んでいていたたまれない気持ちになってくる。どこまでもツイてない。ようやく叔母の家へたどり着くが、民夫はほぼ絶縁状態にされており、何の解決策も見いだせないまま作者は家へ帰る。帰宅するとなんと民夫は最も犯すべからざる作者の部屋で寝起きしているではないか!しかも妻は彼を甲斐甲斐しく世話をし、着替えなども買ってやる始末。あまつさえ「僕、小説をかいてみましたん。出版社を紹介してください」とぬけぬけとのたまうのだ。しかもその小説は作者の書きかけの原稿の後に書かれていた!激昂した作者は原稿をその場で破り捨て、家を出て以前逗留したことのある温泉地で数日過ごすことにする。まあ、これも半ば妻に追い出されるような格好なのだけれど。僕、なんとなく彼に自分の姿をなぞらえてしまった。このように人生というのは、とかく思い通りにいかないものだ。

 僕は50年生きてきて、本当にそう実感する。まさに人生山あり谷あり、そして僕は今確実に谷にいるのだ。そしてそういう時にこそ小説が魂を救ってくれる。まあ救うというのは大げさだけど、少なくとも捨て鉢な気持ちを和らげてくれはするのだ。たとえそれが幸福な物語でないとしても。
 さて、作者はここで最後の災難に見舞われる。最終バスで温泉地に向かうのだが、バスの中でその温泉宿が火事で無くなったということを乗り合わせた地元の住民や車掌に聞き愕然とする。車掌は途中で降りれば宿があるという。不安を抱えたまま降りたはよいが、それらしきものは見当たらない。闇が作者を包み込む。彼は座り込み一服する。そして物語はここで唐突に終わる。

 これからどう生きるべきか、見失った人間が陥っている状況そのものではないか。彼は果たしてこの後、宿を見つけることができたのだろうか?僕も彼と同様に光を見出すことができるだろうか。

 

 なんかやたらと字が多くてすいませんねえ。次の梅崎春生のパートはまた気が向いたら。

 

それでも、生きていかざるをえない!

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