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『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』/P.K.ディックを読む

 

 読んでいる間の印象を一言で言えば・・・「難解」だった。

 何をもって難解というのか。難しい言葉や理論が書かれているわけじゃない。きっと後半のとらえどころのなさが難解という印象を与えるのかもしれない。

 

 わかりやすいわけではないけれども、ストーリーはある。

 未来社会、国連は温暖化が進み、灼熱地獄と化した地球(人類は空調の整った建物の中でかろうじて暮らしている)から火星をはじめとする周辺の惑星へ人類を送り出していた。そこでの生活は過酷で、人々はほとんど希望の持てない毎日をキャンD(まさにキャンデイのパロディ。この麻薬はしゃぶるのだ)というドラッグに頼って過ごしていた。

 このキャンDはP.P.レイアウト社が販売している「パーキー・パッド人形」(バービー人形のイメージで良いと思います)を購入することによって人形と一体化し(ドラッグの作用で自己を人形に投影できる)、つかの間地球での健康的で素晴らしい時間を過ごすことができる。しかもそれは個人的体験ではなく、「穴ぐら」と呼ばれるところに住む移住者が夫婦3組程度で全員参加し、意識をそれぞれの人形に投影して集団的にトリップをするのだ。

 

 このパーキー・パッド人形は短編集「パーキー・パッドの日々」で始めてディックの小説に登場し、やはり地球生活を懐かしむための道具として異星の地で機能していた。

 そちらに関してはこっちで書きました

 そうしてこの小説でパーキー・パッドはさらに発展的な役割を担っている。人々は人形だけでなく、地球生活における小道具を求めた。精巧な家や車の模型、家具や食器に至るまで、それを揃えれば揃えるだけキャンDによる幻想はリアルなものになるというわけだ。

 この人形及び小道具を発売する会社の社長がレオ・ピュレロであり、その下で働くプレコグ(予知能力者)であるバーニー・メイヤスンがおり、この二人が中心となって物語は進む。レオ社長は知能を増幅する手術を受け脳が発達し、甲羅のような皮膚に頭を覆われている。俗に「フーセン頭」と呼ばれるその容貌と引き換えに、驚異的な判断力と知能指数を手に入れたのだ。

 

 読み進めるとバーニーとレオが交互に主観的に登場するので、いったい誰が主役なのかと特定できない点がわかりにくさの理由の一つだろう。

 さて、表面上PPレイアウト社はパーキー・パッド人形とその周辺グッズを売って利益を生み出していたが、実はその裏でキャンDを不正に販売しているのだった。いわゆるマッチポンプ商法だがそのスケールは太陽系レベルであった。

 バーニーはプレコグとして新商品が売れるかどうかの判断を下す役割を担い、レオの片腕として日々過ごしていた。

 

 ところがある日、そのPPレイアウト社を震撼させる事件が起こる。

 プロキシマ星系へと一人旅立った野心的実業家のパーマー・エルドリッチが太陽系に戻ったのだ。

 パーマー・エルドリッチはその容貌からして人間離れをしていた。右腕は金属製の義肢。そして口にはやはり鋼鉄製の義歯がはめ込まれていた。しかしそれよりも印象的なのは彼の目だった。それはもはや目と呼べる代物ではなく、長方形のスロットがパノラミックな視界を彼に提供するために、彼の目があった部分に埋め込まれていたのだ。うーん、宇宙空母ギャラクティカサイロン星人(ほとんどわかる人いないか)、もう少しわかりやすい例で言えばガンダムのザクみたいな感じ?

 

 このような人間離れした男がプロキシマで手に入れたと思しき地衣類を元に新たな合法的ドラッグ「チューZ」と発売すると発表したのだった。

 もしそんなことになればPPレイアウト社はおしまいである。社長のレオはバーニーに命じて予知をさせるがその結果はなんとレオがパーマーを殺すという結果だった。だが未来は揺れ動く。

 いずれはパーマーと対峙しなければならないと判断したレオはガニメデにいるというパーマーに会うことは失敗したものん、今度は変装し、月での記者会見会場へと潜入するがあっさりと捕まってしまう。

 そして、物語はこのあたりから混沌とした展開を見せるのだ。それはなぜか。パーマーが持ち帰ったチューZというドラッグの作用なのだ。

 このドラッグを服用させられたレオの悪夢がここから始まる。彼が体感している世界は現実となんら変わりはないのだが、どこかがおかしい。そしてその幻想の中でパーマーは様々な人物や動物の形に姿を変えて彼を翻弄する。実はパーマー自身もレオに殺されるということを予感しており、なんとか彼と手を結ぶか、そうでなければ破滅させるかという瀬戸際なのだ。

 レオは現実とも幻覚ともつかない世界で未来を見る。彼はパーマーを殺し、その記念碑が建てられていたのだ!しかしそこに現れる獣の姿をしたパーマー。レオは戦慄する。このチューZというドラッグは一体どんな作用を引き起こすのか。

 まさにこの現実と幻想の境界が曖昧になるのがディックワールド!読んでいる方もいったい何が現実で何がドラッグの作用か見当がつかない。ひょっとして書いているディック自身、解っていないのでは?分かる必要もないのだろう。

 レオは地球のバーニーに対して自分を救出するように命じるが、バーニーは何もできない。結局レオは自力で脱出し(これが現実なのかドラッグ体験なのかも曖昧)バーニーをクビにする。

 すると物語を引っ張る役目は今度はバーニーが担うのだ。いったいどっちの物語なんだ?ディックはその境界線すらもぼかそうとしているのだろうか。

 やけになったバーニーは昔の妻に会いにいくが軽くあしらわれ、パーマー側の会社に誘われるがそれも断り、植民地行きを志願し、受理させる。ここからはレオを救出できなかったバーニーの贖罪の旅となる。そうして新キリスト教の伝承者である女性アン・ホーソーンに出会う。このあたりから物語は若干の宗教色をまとうのだが(それほどあからさまではない)八百万の神の国に生まれた僕にはキリスト教世界観の隠喩があまり理解できない。この話、やはり西欧人が読み解くとまた違う印象なのかもしれない。

 

 火星に到着したバーニーはそのあまりの荒廃ぶりと人々の様子に絶句する。しかし彼はここで暮らすと決意する。そうこうするうちになんとパーマー自信が火星へ、しかも彼のいる穴ぐらへとチューZを売りにやってきた。元PPレイアウト社の社員であるバーニーが何かしらの働きをするのではないかと考えているらしい。確かにバーニーは火星に到着すると、会社の人物に接触を受けていた。そうしてチューZを服用したあと、毒を飲んでそれをチューZのせいにする計画を実行するように伝えられたのだ。

 

 この後彼はチューZを服用する。そしてそこに待っていたものは混沌だった。現実と幻想、現在と過去と未来との区別がつかない世界。彼はあらゆる場所に移動し、また未来の自分と出会う。こういうシーンが次から次へとフラッシュバックのように登場し、まさに何が現実なのか全く区別がつかないのだ。

 そして一度でもチューZを試した人間はパーマーを支配的人物として感じてしまうのだ。どんなに親しい相手と思っていてもいつの間にか相手の右腕は鋼鉄の義肢に代わり、その顔を見れば、鉄の顎と、四角い形のスロットが目に埋め込まれているのだ。

 パーマーはチューZを通して神に近い存在となった。服用した人々は義肢、義歯、義眼というそれこそ三つの聖痕を通してパーマーを意識する。そしてパーマーはチューZの使用者全ての生と混じり合い、それぞれの人生を転生する。これこそがパーマーが望んだことである。人間を支配し、惑星を支配し、おそらく宇宙を支配することが彼の目的なのだ。

 しかし、未来の可能性の一つとしてレオはパーマーを殺すという。レオはチューZの影響下にありながら、人間として強い意志を持ってそれを断行するだろう。それをパーマー自身が恐れている。

 物語は終わるがここでもう一度冒頭に掲げられているレオの口述が大きな意味を持って読者に迫ってくる。

 

  人間は今ひどい状況にあるが、これを切り抜けられるというのが個人的信念だ。