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コニー・ウィリス『ドゥームズデイ・ブック』をイッキ読み!

 コニー・ウィリスを読むようになったのは、瀬名秀明氏の「ブレイン・ヴァレー」を読んだことがきっかけだ。 

BRAIN VALLEY(上)

BRAIN VALLEY(上)

 

 この「ブレイン・ヴァレー」では死後の世界(実際はそれだけではなく、宇宙人とか出てきて最後はなんだこれ?!となるある意味トンデモSF)を扱っているのだけれど、あるときこの本のアマゾンのレビューを見て、同じテーマにコニー・ウィリスの『航路』という作品があるということを知ったのだ。

 今まで読んだSFの中でほぼベスト1

  『航路』は上下巻の大作だったが、とてつもなく面白かった。面白い、なんて単純な形容だけれど、まさにストレートにこの言葉がふさわしい傑作だった。詳しくはこちらのサイトで書きました。

 

 あまりに『航路』が面白かったのですぐに僕はコニーの著作を調べ、この『ドゥームズデイ・ブックを購入した。

ドゥームズデイ・ブック(下)【電子書籍】[ コニー ウィリス ]

価格:864円
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  『航路』とは違ってこちらはタイムトラベルもの。この小説世界では「ネット」を介して任意の時代に人間を送り出すことができる技術が確立されている。その技術はオックスフォード大学での歴史研究に利用されており、中世史学科の学生であるキヴリンは実習として14世紀のイングランドへと送られるところだった。キヴリンは小柄でブロンド、幼く見えるが聡明な学生だ。

 

 先入観から、中世へタイムスリップして、大冒険するんだろうなと勝手に思い込んでいた僕は、出発する直前の21世紀での様々なごたごたが描かれた導入部分を読むのに疲れてしまった。そしてついに本を閉じてしばらくこの作品には触れることはなかったのだ。その時の気分としてはなんとなく読む気がしなかったのです。

 それから1年くらい経っただろうか、この間、未読の手持ちのストックの本が終わってしまった(僕の読書の時間、主に入浴中。冬は特にはかどるので)。そこでああ、そうだ、まだ『ドゥームズデイ・ブック』あるじゃないか!と気づき再び読み始めたのだ。この本も上下巻というボリュームなのでそれもあってなかなか手をつけられなかったのです。

 久しぶりに読んでみると、その頃とはまた気分が変わったのかすこぶる面白いではないか!しかもさすがのコニー・ウィリス、予想とは全く違う方向へと話が進む。もちろん、キヴリンは予定通り14世紀にタイムスリップはするのだけれど、その直後に現代で思いもよらない問題が巻き起こるのだ。

 

 ネットで時間移動した場所を「降下点」と呼び、現代に戻る時にはその場所でランデヴー時間にいないと、その時代に取り残されてしまうようだ。ある意味命懸けだが、オックスフォードの史学科ではそれを研究の一環として行っている。

 タイムトラベル技術が確立しているのなら、もっと様々な用途がありそう(場合によっては歴史を変えるという悪用もありうる)だが、そのネットというのがどうやらタイムパラドックスを抑える働きがあるらしい。まあ、あまり細かく書きすぎると本筋に影響が出るからそういう世界観として話は進んでいく。

 キヴリンは追い剥ぎに襲われた貴族の娘という設定で14世紀の森の中に降下する。しかし降下直後に激しい頭痛と発熱に見舞われた彼女は酷寒の森をさまよい、街道で倒れてしまうがとある男に救われ(キヴリンはその男の見た目から間違いなく追い剥ぎと確信するが実は心優しいローシュ神父という人物)、意識朦朧とした中で小さな村に到着する。

 

 一方で現代ではネット技術者のバードリが原因不明のウィルスにやられ、それが伝染病の可能性があると判断されロンドンは封鎖されてしまう。バードリはキヴリンの非公式の主任教授であるダンワージー「なにかがおかしい」と伝えて倒れてしまう。

 現代と14世紀の登場人物はお互いに状況がわからないまま話が進むので読み手はハラハラさせられる。キヴリンは何事もなく必ず現代に帰れると思い込んでいるが、その現代ではウィルスによるパンデミックの兆候が見られ、研究室は封鎖されてしまう。これではキヴリンは現代に戻れないではないか。

 一方でキヴリンは少しずつ意識を回復し、自分がある領主の一家のもとに保護されていることを徐々に理解する。一応設定通りキヴリンは追い剥ぎに襲われた貴族の娘とみなされているようだ。そして領主の娘である12才のロズムンドと、5歳になるアグネス(この子がまた可愛いのだ)に懐かれるキヴリン。しかし彼女はまだここがどこで、どの時代なのかを確定することができない。どうやら日付は人々がクリスマスの準備をしている様子から12月の中旬であることが推測される。

 

 キヴリンは手首に埋め込まれた、表題にもなっている「ドゥームズデイ・ブック」という録音チップに出来事を詳細に記録する。こういう小道具がかなり効いてストーリーに深みを与えるのだ。そしてもう一つすごいなと思うのは、インタープリタという設定だ。インタープリタの仕組み(科学的な統語法・記憶強化システムと説明される)は良くはわからないのだけれど、そう呼ばれる一種の翻訳機能をキヴリンは装備している。つまりは14世紀の言語を話すためにそのインタープリタを使って中期英語を話し、聞くのである。しかしキヴリンは最初、時代人たちの会話が全く理解できず、また彼女の言葉も通じなかったため非常に焦るのだ。

 よく日本映画で現代人が戦国時代にタイムスリップするみたいな設定があるけれど、どう考えても言語形態が違うでしょ。まあそもそもタイムスリップという設定に無理があるのだからそのへんをつついても仕方がないのだけれど、実際の会話は当然古語で行われていたはずだ。こんなふうに。

「しからば汝と我互いあらそひせん、必ず我をはばからず計らふべし、汝勝ちたらば我が国の所領以下を半分ちて与へるべし。其の上は心のままに計らへ、われ勝ちたらんにおいては・・・」

 あくまで想像ですが、こちらもそのように話さないと当然怪しまれるに違いない。コニーはそういう部分をリアルに考証しており、中期英語を話す部分はきちんと中期英語のつづりでセリフを作っている。すごいね。

 いったいいつ話が通じるようになるんだ?と読み進めるとインタープリタがようやく機能し始め、少しずつコミュニケーションが可能となる。そのプロセスは非常によくできていて、ああ、作りこまれた小説というのはこういうものなんだなあと思うのだ。

 そして物語は現代と14世紀と交互に進んでゆく。現代ではダンワージーを中心として感染源の特定に躍起となる人々の描写がスリリングに、ときにユーモアを交えて描かれる。

 

 14世紀でキヴリンが世話になっている領主の一家は、何らかの原因でこの40人足らずの村へ来ているらしい。村の名前も特定できなければ、正確な年代もまだわからない。彼女としては1320年に来ているはずだが。ようやくのことで回復した彼女は、ひどい頭痛と熱のため降下点を覚えていないため、ローシュ神父や領主であるギヨーム卿の娘ロズムンドとアグネスを連れて雪の中、森を探索するが見つからない。どうやら領主の家来のガーウィンという人物がそれを知っているようなのだが、なかなかそれを確かめる機会を作れない。キヴリンは追い剥ぎに襲われたショックで記憶を失ったということにして(貴族の娘という設定だとボロが出そうになったため)、日々を過ごす。滞在期間は二週間の予定だが、熱でどれほど日にちが経ったことか正確につかめない。それにしてもこの時代の後に猛威を振るっていたペストに代表されるあらゆる疫病を想定して予防接種や免疫強化を受けているはずだったのに、なぜ頭痛と高熱に襲われたのか。

 その答えは現代にあった。実はキヴリンと技術者のバードリは降下前に実習で墓所の発掘作業を手伝っていたのだがどうやらその墓所からウィルスが発生したらしいのだ。

現代でそのウィルスが猛威を振るい感染者を増やし、死亡者まで出てしまう。

 そしてあろうことかギルクリストという学部長代理(この小説での憎まれ役)がダンワージーの意見を聞かず、ウィルスはネットからやってきたとかたくなに思い込み、シャットダウンしてしまう。キヴリンが帰る手段は閉ざされてしまった。同時にダンワージーもウィルスに倒れる。

 

 何も知らない14世紀のキヴリンはクリスマスの行事を体験する。ひたすら盛大に行われる宴会。12歳のロザムンドの婚約相手のサー・ブロートなる人物(年配で醜悪に描写されている)もたくさんの家来を引き連れてやってくるのだが、どういうことか、あるとき突然潮が引くようにみな去ってしまう。

 そして残されたのは一人の具合の悪そうな教会の書記。最初は酒の飲みすぎであろうと思われていたこの人物はやがて高熱にうなされ、暴れだす。そしてその症状はペストの症状と一致することにキヴリンは愕然とする。「今は西暦の何年?」と尋ねたキヴリンに返ってきた答えは、ペスト=黒死病がヨーロッパを遅い、何百万人もが死んだ1340年だった!

 つまりこれが「なにかがおかしい」の答えだったのだ。ネット技術者のバードリはウィルスに侵されたままネットを処理し、キヴリンを黒死病の時代へと送ってしまったのだ。コニーの作品はこういう伏線の貼り方が上手くて、本当に唸らされる。下巻に入ると、現代と14世紀との合わせ鏡のようにウィルスと人間の対決が描かれる。

 そう、ペストが村で次々に猛威をふるいだすのだ!

 

 コニーの小説の何がすごいって、『航路』でもそうだったんだけど、容赦なく登場人物が死んでいくところだ。通常のエンターティメントや予定調和の話ならば幼いアグネスやロズムンドといった娘たちの交流が描かれ、悲しい別れを経て現代に戻り、大団円!となるのだろうが、あろうことか真っ先に5才のアグネスが死んでしまう。そして次々にキヴリンを世話してくれた人や村の住人が死んでいき、かろうじて一命を取りとめたと思えた12才のロズムンドまでもがやはり死んでしまう。

 一切の感傷がない。よくよく考えればキヴリンのいる時代は黒死病の時代で住人の8割以上が命をそれで失ったのである。そこには物語上の特別な力は働かず、あるがままの現実として人が死んでいく。キヴリンは予防接種を受けた現代人として必死に村人の看病をするが次々に死んでいくのだ。そのうちに滞在期間の二週間は過ぎてしまった。そしてついに残ったのはローシュ神父だけとなった。もはや現代に帰ることが出来ないと思い込んだキヴリンはローシュとともにペストの及ばない北、スコットランドを目指すことを決意する。しかしそのローシュもついに病に倒れてしまう。絶望に打ちひしがれるキヴリン。コニーはヒロインをとんでもないところまで連れて行ってしまう。

 

 交互に描かれる現代のパートではダンワージーがようやくのことで回復するが、こちらでも彼の周囲の重要な人物がウイルスや肺炎で亡くなっていた。現代はようやくパンデミックが収束に向かい始めていたが、ダンワージーはキヴリンを救出するために奔走する。同僚の医者メアリ(彼女も肺炎で死んでしまう)の甥っ子コリンと共にネットでキヴリンのいる1340年へと向かうのだ!どうなる!

 もうここまで来るとページを繰る手が止まらなくなり、早く続きが読みたくて仕方ない。しかし一方でああ、いよいよ物語が終わりになってしまう、という寂しさも迫ってくる。

 必死にキヴリンを探すダンワージーとコリン。雪に包まれた点在する村には、ペストにやられた死体ばかり。手がかりはないのか。しかし読者は確実に彼らがキヴリン近づいていることを、馬やロバ、牛の存在を通して感じ取ることができる。もうすぐだ!コリン!ダンワージー!がんばれ!。そして聞こえてくる鐘の音。

 この鐘の音がまたそれまでの伏線とうまく重なりものすごい効果をあげている。この鐘だけではなく、そのほかの小道具に関しても一度読み終わってから再び拾い読みをしてみるとああ、ここはこういうことだったんだ!という発見がある。

 

 物語は最悪の終わり方だけはしないけれども、ハリウッド映画的なハッピーさには程遠い。しかしああ、素晴らしい小説を読むことができた、という感動を必ず得ることができます。長いけれど、オススメです。SF的なハードルの高さもほぼありません。

 

 それに比べれば程遠い作品ですが

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