音楽と本

僕のカルチャーセレクトショップ

SFを読む。『ノーストリリア』。

  本日謎のPV跳ね上がり(朝だけ)という事態が起きていましたが、何が原因だったのだろう?

 

 「音楽と本」というタイトルを掲げているくせに最近音楽の記事が動画中心なのは愛車コペンがブッ壊れ、曲を聴けないから。直るのは結局年をまたいだ1月3日。それまで僕は代車であるこの5速マニュアル軽トラ

                会社の人がみんな笑う

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での通勤を毎日強いられている。この軽トラ、当たり前だが軽トラなのでCDなど聞けず、USB端末などは論外。音が出る機能はラジオのみ。僕は音楽の自由選択ができない環境は耐えられないので、結果的に毎日無音ですよ!しかもシートは常に直立不動!なんだこの生活は。まあ、シフトチェンジは少し面白いんだけど。

 

 だから結構買ったCDなんかは溜まっているのに仕事が忙しく、部屋で聴く余裕はなし。うー、耳がナマる。

 まあそれはともかく、毎日僕は浴室で本を読んでいます。最近読み終えたのはこの2冊。相変わらずどちらもSF。

               また次のをアマゾンで探さなきゃ

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 まず今日はコードウェイナー・スミスの『ノーストリリア

 こちらは荒唐無稽の大風呂敷広げSFタイプ。とにかくスケールがでかくその分あまりリアリティはない。

 

 15000年以上後の未来世界。

 地球をはるか離れたノーストリリアという惑星はウィルスに犯された巨大羊のエキス・ストルーン(それは人間の寿命を伸ばす効果がある)によって莫大な利益を得ていた。しかしそこに住む人々は地球のオーストラリアを出自としており、自らに厳しい生活を課し、大金持ちでありながら昔ながらのオーストラリア生活をしていた。無駄遣いはしない主義なのだ。そこに生まれた少年ロッド・マクバンは通常のノーストリリア人が持っているテレパシー能力がないため、何度か人生をやり直させられ、最後のテストでようやくノーストリリア人の成人としての資格を得る。

 

 旧態依然としたノーストリリアの生活の中にあって、彼の家系だけが密かにコンピューターを保持しておりロッドはそのコンピューターの提案通りにことを進め、なんと地球をまるごと買い取ってしまった。

 そのおかげで彼は逆に命を狙われることになり、姿を猫人に変えて地球へと赴く。

 猫人?なにそれ。SFというのは元来が不親切なので読んでいく人間が世界観を想像力を働かせて補完するのが常である。この小説の世界では動物を遺伝子的に操作し、ある程度の知能をつけさせた人間型動物が労働をさせられている。だから犬だとか豚だとか鳥だとかの人間もどきが様々な形で登場する。

 

 地球を手に入れ、法外な金持ちにになったロッドは地球の古代の切手「ケープトライアングル」を手に入れるために地球へと向かうことを決意するのだ。ただ、前述のとおり多くの利害関係により彼の身を狙うものが無数にいるため地球の「補完機構」という組織が彼を守ることになる。さらに用心のために彼は猫人に姿を変えるのだった。

 複雑な手順を経て地球に着いた彼はク・メルというメスの猫人と仮の夫婦になる。(ク・メルはこの作者のほかのシリーズでの人気キャラクターらしい。僕は勉強不足でよく知りません。)

 このあたり、なんだかわからないまま話が進み何度か投げ出しそうになるが頑張って読む僕。結局地球の奥深くにロッドは進み、動物人が崇めるイ・テリケリなる鳥人と出会い、何かを掴む。

 で、いろいろ冒険して(雑)最終的に彼は人間の姿に戻り、ノーストリリアで暮らします。おしまい。

 

 すいません、急にやっつけになったのは、この本にあまり浸れなくて、話を書いていてもつまらなくなったから。この本は話の系統としてはSFファンタジーになるだろう。ある程度の経済的用語や宗教などそれなりの道具立ては整っているのとはいえ、どうにも嘘くさい感じが拭えない。もちろんファンタジーなのでそれを受け取った上で読むべきものなのだけれど、受け取らせるだけの説得力はいるでしょう。そして僕は説得されるにはよくない読者だった。

 

 SFといっても様々なジャンルがあるわけで、僕は緻密な世界観が構成されている作品が好みなのだ。いわゆる、ハードSFというやつ。だからクラークやハインラインやディックを読む。

 一方ではこの本のようなファンタジックなSFもたくさんある。ただ、光線銃、ロボットといった使い古されて搾りかすも出ないような道具をあれこれ出されても、それはSWで十分だと思ってしまうのだ。ただ、この本は昭和63年に出されたものなので、現在の感覚からすると多少古いのは致し方がないことだろう。もちろん、僕は寡聞であるのでもっと素晴らしい作品はあるはずだから、それを探してこれからもSFを読み続けたい。

 明日の元日も普通にSFの紹介をします。良いお年を!

  

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読まれる小説を書くというのはたいへんなことだなあ

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