音楽と本

僕のカルチャーセレクトショップ

宇治拾遺物語に見るクライマックスとアンチクライマックス

 僕は古典が好きで昔はよく読んでいた。特に説話関係は短いものがほとんどで、ストーリーも注釈を見ながらなら読みやすい。今、手元にある「宇治拾遺物語」の文庫本を眺めていたら面白い話が二つほどあったのでご紹介します。なるべく面白おかしく書くよう、努力します!古典が嫌いな人も、解るように書いたつもりデスメタル

宇治拾遺物語 (角川ソフィア文庫)

宇治拾遺物語 (角川ソフィア文庫)

 

 

            検非違使忠明のこと

 

 これも今は昔、忠明といふ検非違使(けびいし)ありけり。それが若かりける時、清水の橋のもとにて京童部(きょうわらんべ)どもと、いさかひをしけり。京童部、手ごとに刀をぬきて、ころさんとしければ・・・

 

 検非違使というのは平安時代の警察官のようなものだ。僕ぐらいの昭和生まれの世代なら「平安京エイリアン」という当時東大生がプログラムした!ということで話題になったゲームの主人公としてのケビイシのほうが印象にあるかもしれない。

 

 その検非違使である忠明が清水寺の橋のもとで京童部、(今でいう不良少年たちであろう)たちと喧嘩になった。血気盛んな京童部は皆刀を抜いて忠明を切り殺そうとする。あぶないあぶない!

 忠明も刀を抜くが多勢に無勢、清水寺の舞台に逃げるが絶体絶命。そこで彼は寺の中へ逃げて蔀戸(しとみ・・・簡単に言えば一枚板)を脇に挟んだ。さてどうしたか!

 

 しとみのもとを脇にはさみて前の谷おどりおつ。しとみ、風にしぶかれて、谷の底に、鳥のゐるやうにやをら落ちにければ、それより逃げていにけり。京童部ども、谷を見下ろして、あさましがり、たち並みて見けれども、すべきやうもなくて、やみにけりとなん。

 

 つまり、その一枚板に乗って清水の舞台から飛び降りたのだ。するとその板は下から風に吹かれて鳥のようにゆっくりと落ちたのでそのまま逃げたんだって。

 なんじゃそりゃ!通常だったらヒューべたんでしょ。たしか清水の説話って他にも赤ちゃんをその舞台から何かのはずみで落とした母親が慌てて下へ行くときに引っかかって無事だったなんて話もあった。でも実際落ちたら死ぬよね。

 この話は結構有名な話だけど忠明という人物は実在したかどうかは不明。でもこの短い話で見事に起承転結が成り立っている。古典って面白いねえ。さてもう一編宇治拾遺物語からどうぞ。

 

          蔵人得業猿沢の池の龍のこと

 これも今は昔、奈良に蔵人得業恵印(くらうどどくごふゑいん)といふ僧ありけり。鼻おほきにて、赤かりければ、「大鼻の蔵人得業」といひけるを、後ざまには、ことながしとて、「鼻蔵人」とぞいひける。なほのちのちには、「鼻くら鼻くら」とのみいひけり。

 

 蔵人は当時の官職。恵印は僧だから出家前は蔵人だったらしい。得業は想の階層。その彼は鼻が大きくて赤かったので「大鼻の蔵人得業」と言われていた。しかしそれも後になって「鼻蔵人」となり、さらには「鼻くら鼻くら」とだけ言われていた。

 あだ名の変遷がおもしろい。「鼻くら」って。

 あだ名の変遷といえば、今でも付き合いのある大学僕の後輩は当時「林家こぶ平」に似ていたので早速付いたあだ名がこぶ平。そして順次「こぶ」→「ぶうこ」「こぶっちょりー」「COB(シーオービー)」となり、さらにはCOBのドイツ読みで「ツェーオーベー」となり、最終的には「ツェイオ」というもはや出典がなんだかわからないものになっていた。

 さらに彼は他にも役職を勤めていた「部長」というあだ名や苗字にまつわる「サッサー」などというあだ名があり、僕の知る限り最もあだ名をたくさん持つ男だった。しかしどのあだ名で読んでも普通に「はい?」と返事をし、僕らもどのあだ名で呼んでも別段違和感を感じていなかった生活はすこぶる輝いていたっけ。

 古典で鼻と言ったらなんといっても芥川龍之介の『鼻』に出てくる禅智内供だけれど、こちらの鼻も負けてはいない。

 

 この鼻くら、若い時にいたずらで、奈良の興福寺にある「猿沢の池」のほとりに「某月某日この池より龍が登ろうとするのだ」と立札を立てた。するとそれが評判となって人々が噂をしあう。鼻蔵人は「ぷぷぷ、俺がしたのにみんな馬鹿だなあ」と心中密かに思っていたが、その月になる頃には全国の評判となって群衆がその池に押しかけた。

 鼻蔵人は「なにかあらんやうのあるにこそ、あやしきことかな(どうしてこんなに集まったんだ?ワケがあるのか?)」とことが大きくなっているのにそ知らぬふりをしていたがいよいよその日になると大群衆がそのときを今か今かと待ち構える事態になる。

 ここに至って彼は「こりゃただごとじゃない!俺がやったことだけどここまで来たら本当に龍が昇るかもしれない」と思って頭にほっかむりをして現地に行くが人が多すぎて池のそばにも近寄れない。

 仕方がないので興福寺南大門の壇の上で様子を見守っていた。

 僕はここまで読んで説話のセオリーから言って当然ここで龍が昇り、人々は喝采するものだと思っていた。さて、実際の結末はこうだ。

 

   今や龍の登るか登るかと待ちたれども、なにの登らんぞ。日も入りぬ。

 (今か今か龍が登るかと待ったけれども、何が登るだろうか。日も沈んだ)

 

 で終わる。なんだこのアンチクライマックスは!あまりにもあっけなく終わっている。ちなみにこの話、芥川龍之介の『龍』という作品の元ネタになっており、そちらは見事に龍が昇るのだが、僕はこちらのスパンと切って終わったようなこの結末に妙な味わいを感じる。

 

 また粋な話があったらご紹介します。

 

 

押すと良いことあるそうです、僕に。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

読むと良いことがあります、僕に。

kakuyomu.jp