今日読売の投書欄を何気なく見ていたら、81歳のとある女性の投書があった。ほとんど僕の母親と同じ年齢だ。
僕の母はいまだに現役で父とともにうどん屋をやっており、毎日天ぷらを揚げ、店に立っている。一昔前ならば80歳なんて、かなりの高齢のイメージがあったが、父母とも健在でしっかり働いている姿を見ると80になっても頑張らなければ、と思えてくる。お父さん、お母さん、いつまでもお元気でいてください。
さて、女性の投書の話なんだけど、その方は2020年の東京パラリンピックのマスコットデザインを一生懸命考え、何枚もスケッチしたそうだ。さらには「ジャパン富士太郎」とか「富士ちゃんジャパン」などと名前も色々お考えになっていたようだ。正直、ちょっと見てみたい気はする。下手するとおばあちゃん独特のセンスに失笑してしまうかもしれないが、もしかしたらものすごく可愛いマスコットかもしれないではないか!
いくつになってもこういう心理は人間変わらない。だって、僕だって賞に応募した小説がもし入賞して出版されて、映画化されたら・・・みたいな他愛もない夢物語を描いていたからだ。ダメだろうと思う気持ちが8割、もしかしたら・・・という期待が2割。まあ、当然8割の方の結果だったんだけど、誰だって何かに応募したりすれば期待はするもんだ。
くだんの女性は準備をさんざんした後で、娘さんからネットで応募しなければダメだという規定を知らされ、がっかりする。
確かにウチの母親がスキャナー、もしくはデジカメで絵を取り込んでPDFに直して応募する姿はまず考えられない。娘さん、何とかしてあげられなかったんですかねえ。最後にこの方は
老人の夢をさっと奪っていく社会に寂しさを覚えた
とお書きになっている。
なんとも言えないやるせなさが漂っていて、せつない。これを読んでこんな出来事を思い出した。
場所は忘れてしまったけれど、かれこれもう二十年くらい前になるのだろうか。当時「たまごっち」が大流行しており、中々手に入らない状態が続いていた。確か「タマゴ野郎」みたいな商品まで売っていたことがあった。今思えば、逆に欲しい。
さて、その当時、たまたまどこかの公園のちょっとした売店で、「たまごっち」の明らかなニセ物が売っていたのを発見した。僕はそれを見て「うわあ、あからさまなニセモノだ。こんなの買うやついる訳ないじゃん」と微笑ましく思っていたのだが、丁度その時立ち寄った老夫婦のおじいちゃんの方が例のそのニセモノを発見し「おい、これ〇〇(孫の名前)が欲しがってたやつじゃないのか」とおばあちゃんに話しかけた。もとよりおばあちゃんはたまごっちなど知らないから曖昧に答えていたようだが、躊躇なくおじいちゃんはそのニセモノを購入して帰っていった。きっと孫が大喜びすると思って。
「ほら、〇〇、お前の欲しがってたたまごっち買ってきたぞ」
「なにこれ、おじいちゃん、これたまごっちじゃないよ!ほしいのこんなんじゃないよ!」
「―」
・・・・これは僕が勝手に想像した結末だが、実際はどうだったのだろう。本当にこうだったのなら、やはり少し悲しい。
少しペーソスあり