僕の小3の娘は、作家になりたいと言っている。
なれる確率としては百万分の1くらいだろうが、そんなことは気にせずに彼女はコンスタントに作品を書き続けている。
そもそも何でそんな夢を持ったかというと、まずはこちらをご覧下さい。
お、鳥だ。インコだな。
と思ったでしょう。その通りです。
娘が小2のときに突然インコを飼いたいと言い出したので、僕はその条件として本を百冊読んだらいいよ、と提示した。すると彼女は半年かけて一生懸命百冊読んだので、2人で近所のホームセンターの動物売り場に行き、2400円でインコを購入した。その鳥は、写真の手前にいる子で、名前は「チュン」。
ちなみにこのチュンを買ったときは、いきなり鳥の入った「生体」と書かれた箱を渡されると、それをそのままレジに持っていかされた。僕は「鳥ってこんなふうに買うのか?」と思いつつ帰宅したのだった。
このチュンは手乗りでもなんでもないただのインコだったので、それこそ、ただいるだけのトリである。だから最初のウチは娘も「ちゅーん!」とか言って話しかけていたが、あまりトリの反応が芳しくないからか、「パパ、手乗りが欲しいよ」と言い出し始めた。そもそも飼うのはいいが、掃除するのは僕ですよ!毎日!
そこで再び百冊本を読んだら、という条件を出すと、これも娘は頑張ってクリアした。約束通り今度は別のペットショップに行ってインコをもう一羽購入した。名前は「ピン」である。このピンも最初の内は慣れて手に乗ったりしていたのだが、チュンと毎日過ごしていたら人にあんまりなつかなくなって(インコはそういう性質がある)、現在は手に乗ってくれない。
しまいには、娘、もう一羽ヒナから飼いたいとか言い出したのでそれはさすがに却下した。生き物はそんなに簡単ではない。病気にもなる。チュンはこの一年で三度も疥癬という鳥の病気にかかり(ダニがついて毛を抜きまくる)、僕が病院に何度も連れて行った。毎日鳥かごの中を逃げ回るチュンを捕まえて薬を与えなけらばならない。とても面倒だ。トータルでかかったお金は1万円を超える。買った値段より高いし!
そして、相変わらず僕が毎日小鳥の世話役をしている。雨の日も、風の日も。
まあ、でも、それはそれでいいのです。
このように僕は子供には小さいうちから、あの手この手で本を読ませることを心がけてきた。僕もそうやって育ってきたから。妻も妻で彼女なりの方針で本をよく読ませている。その結果、娘は今ではかなりの量を読みこなしている。
娘のお気に入りはスティーブンスンの「宝島」やヴェルヌの「十五少年漂流記」、「神秘島物語」だ。冒険小説が一番好きなジャンルなのだ。また「シャーロック・ホームズ」にも一時期はまり、娘は僕と昔BBCで製作されたジェレミーブロック主演のドラマを何本も観た。「まだらの紐」や「踊る人形」が面白かったとのことだ。最近だとトールキンの「ホビットの冒険」を読んでいる。
小学校低学年にしては本を読んでいる方だろう。その結果、彼女の創作意欲が刺激され、2年生の後半から物語を書くようになった。最初の作品は、「たからじま」というものだ。
世界観が確立されている。この頃娘はやたらと冒険小説を読んでいたからか、自分でも同じようなものを書きたくなったらしい。それで、その気持ちが勢い余って、出来上がった作品はとんでもない熱量を放っている。
字でノートがパンパン。キャラの名前とかボートの名前は自分で全部考えた。処女作なのでまだ文体がぎこちない。やたらと持ち物を列挙している。
ちなみに、これは(上)で、(下)は別のノートに続く。それがこれ。
この頃にはだいぶ書くのにも慣れ、文体も洗練されている。ストーリーはたからじまに漂流したアティカスとロン・リーという男の子と女の子が、ジャックという大人と力を合わせて海賊たちをやっつけるというもの。しかし、この頃娘の読んでいた本は『ルドルフとイッパイアッテナ』が最近映画化された斎藤洋氏の「偉大なる王」という虎が主人公の本だったからか(生きるための残酷な戦いが繰り広げられる)、その影響を受けてかなりバイオレントな描写に満ちている。
↓クライマックスのあたりを抜粋。海賊の親分リベルダのオオカミとジャックの犬ファンとの対決場面。
「するどい歯がオオカミの首すじにくいこむ」など、小3の娘の描写か?しかし次のページはもっとすごかった。
リベルダ死亡。
「頭がいこつがくだける音がした」って・・・。
娘にこれすごいね、と言ったら、だって『偉大なる王』にそういうのがあったから、とのこと。読む本で人間っていろいろ変わるね。彼女にはまだ他の作品もあるので、また次の機会にご紹介します。
それで、なんだ、また娘自慢か、と思うでしょ。まあそうなんですけど、それだけじゃないのです。僕は最近実家で、僕自身が3年生の時のノートを発掘したのだ。僕がちょうど今の娘と同い年に書いたものだ。さあ、比較してみよう。
昭和感満載のこのノート。もう何処にも売ってないよ!ちなみにこれは漢字練習帳です。当時の担任の先生のやり方として、まず漢字を練習したあとに、その漢字を使った文を作りなさいという方法をとっていたらしい。それで、その時僕が書いた文がいちいち間が抜けているのでご紹介しよう。
いきなり失礼である。「ゴリラに似ているね」って。さて次。
真面目なのかふざけているのかよくわからない。ぼくの横に横田くん。
とんでもないことを書いているが、実は僕が幼稚園の時、実際に隣の家が火事になったのだ。あの光景は今でも忘れることができない。
頭が悪すぎ。肉に対する執着がすごい。あと、河口湖に行った回数が定かではないほど記憶力がないのか。
これはどういうことかというと、当時父親がパイナップルをまるごと買ってきて、美味しくいただいたあと、僕はパイナップルのヘッドの部分を植えればまた生えてくるだろうと思い、そのまま庭に埋めたのだ。そんなわけないでしょ。親も気づいて教えてやれ。「植」という字も使ってないし。
僕は当時、夜になるとラジオを聞いていた。「欽ドン」とかだったかも。それにしても文か放そうを見ることはできない。
おいおい、今ならツイッターで拡散してるよ!
改めて僕の娘と比べると、レベルが低い。でも、安心しろ、当時の僕。君は浪人して死ぬほどガリ勉をする羽目になるのだ。
そりゃそうだろう。今でもそう思う。
なんだか悲しい。きちんとオチがついている。
もちろん今でもムリだ。
当時の僕はバカであった。
さて今の僕のこと。娘が小説を書き始めるのを見ていて思ったのは、「血は争えない」ということだ。実は僕も小説をものしているのだ。もちろん、シロウト作家である。本を出せるわけもない。
僕は小説を昔から書き続けているわけではない。書くようになったのはごく最近だ。一年半ほど前、ある着想が突然僕に生まれた。
でも書いたのだが、娘にメタリカの「バッテリー」を聴かせたことがきっかけとなっている。そこからヘビーメタルと文学好きの少女というアイディアが生まれ、コツコツと半年かけて完成させた。以下のサイトでその小説を読むことができます。
書きも書いたり、18万字。我ながらよく完成させたと思う。現時点ではまだ連載中です。お願いですから読んで!「いいね!」ボタン押して!
この「ヘビーメタルと文芸少女」、実はある賞に投稿したが、当然箸にも某にもかからず、終了。だが、僕はこの小説、キャラクターたちをパソコンの中で眠らせておくにはどうにも忍びなくなり、「カクヨム」という角川の小説投稿サイトへ載せた。わずかだが読んでくれる人もいて、僕にささやかな元気を与えてくれる。
今までたくさんの本を読んできて、様々な経験を経て、それが僕の中で熟成され、この作品として結実した。不思議なことだが、書く手が止まったことはほとんどなかった。それどころか書いているうちに自分でも思いもよらない方向へ行くことがあって、「これが小説を書く醍醐味なのか」と勝手に作家気分に浸ったものだ。
娘もきっと同じように書いているのだろう。彼女には「モノを書くその時」がわずか9歳でやってきた。しかし僕にはそれが娘よりも30年遅れてやってきた。