元宇宙飛行士のジョン・グレン氏が死去しました。95歳だそうです。
以前宇宙開発がマイブームになったときに見た映画「ライトスタッフ」でエド・ハリスが彼の役を演じているのが印象的だった。日本ではほとんど馴染みがないだろうけど、アメリカではその当時においてはものすごい人気だったようだ。だって、こんなフィギィアがあるくらいだし。
顔、全然似てませーん。
下部にワッペンがあって、そこには(フレンドシップ7)と記入されている。これは彼が初めて地球を周回した時の宇宙船の名前だ。「GRENN」という名前も見える。
77歳の時には日本人女性宇宙飛行士の向井千秋さんと共にスペースシャトルで再び宇宙へ行った人である。僕も行けますかね。ご冥福をお祈り申し上げます。
引き続き小学生がYMOにハマった話。
YMOの音源をレコードよりもFM先行で聴いていたので、実際レコードを聴くと印象がまったく違うことが多々あった。
YMOがライブをするときはそのほとんどの曲が原曲と違うアレンジであった。例えば「コズミックサーフィン」はライブだとメロディーがストリングス系の音で演奏されていたのに、後で聴いた原曲はピコピコサウンドで拍子抜けした。
また「中国娘」は前半の展開は同じだがライブの方がエンディングは俄然激しいノリで、やっぱりレコードを聴いたとき、間の抜けた電子音で次の曲へと流れ込んでいた。
「東風」はほとんど同じアレンジで今聴いてもすばらしい曲だと思う。意味不明だったのはファーストアルバムの一曲目が「インベーダーのテーマ」となっていて、あのゲームの「ブッブッブッブッ」という音楽を期待していたら「ピエロがシーソーして風船を割るゲーム」の音でがっくり。しかしこの曲は実際のゲームをサンプリングせず、自分たちで似た音を創って実際に演奏していた、と言うことを後で知った。
YMOはとにかく色々な企画をしていた。「おれたちひょうきん族」に三人で出演し、シュールな漫才を披露していたっけ。「増殖」アルバムは異色なアルバムだった。そもそも30センチLPでなく、しかも曲中に「スネークマンショー」というネタが入るのだ。これにもハマり、しょっちゅう友達と「ここは警察じゃないよおー」等とマニアックなギャグをかましていた。「スネークマンショー」はその後もう一枚出たが、そちらはYMOメインではなく「急いで口で吸え!」などのコント中心だった。でも収録されている「磁性紀」は名曲!
「増殖」の見開きは強烈だった。ナイス・エイジ!
中学生になっても部活見学をすっぽかして「坂本教授の電気的音楽講座」という今では伝説的なラジオプログラムををエアチェックしに帰ったりしていた。
この番組は彼がどうやって作曲するかを一週間かけて少しずつ解説していくものだった。それは正直あんまり興味がわかなかったのだが、そこでコーヒーブレイクとかいって挿入される曲で一曲めちゃくちゃはまったのがあった。しかしテープがもう何処に行ったか解らなくなってしまった。聴きてぇ。しかしどうやって見つける?
あるでしょ、題名は解らないけれど、聴きたい曲って、あなた!
僕は時々その曲にフレーズをを思い出しては誰の曲だろうなあ、と思うことを30年ほど繰り返していた。
しかし、この情報化時代、不可能が可能となる!やはり同好の士がいるもので、当時のオンエアされた曲をきちんとリストアップしている方がいて、そこから割り出すことができた。ちなみにその曲はアスワドの「BACK TO AFRICA」という曲でした。
ピッコロだろうか、「ぽっぽぽっぽぽ」という繰り返されるフレーズが美しい。30年を経てようやく発見。しばらくは毎日聴いていました。
さて次のアルバム「BGM」は彼らの中では地味な作品だと思う。小学生にはちときつかった。今聞くとCUEなどの名曲がある。
細野氏の曲「ラップ現象」ではずーっと曲中「ばかーばかーばかーばかー」と言い続けているのがあって最初はめちゃめちゃ笑った。
そして「いわゆる テクノデリック」はファンにとっては衝撃的な作品だった。
いままでのキャッチーな曲は無く、暗く実験的な曲ばかりだったからだ。ライブも同様でかなりファンは戸惑ったらしい。確かに一聴したところはとっつきにくいのだが、聞き込むうちによくなってくるスルメ型のアルバムだと思う。一曲目の「JAM」の変な音色(このアルバムは音の選別もかなり実験的だと思う)と途中挿入される「それJAMでしょ」という変な声が好きだ。
でも当時このアルバムを聴くのにはだいぶ気合を入れていたように思う。